今週のトピック

「赦しと許し」2018年 9月 16日

マタイの福音書 6章 12節

「私たちの負い目をお赦しください。
私たちも私たちに負い目を
ある人たちを赦しました。」

(引用元:聖書 新改訳 2003新日本聖書刊行会)

青年会では今年度、学びをしようということで、主の祈りを順番に詳しく学んでいます。そして先月から、「われらに罪を犯す者をわれらが赦すごとく、われらの罪をも赦したまえ」の箇所を取り上げています。その中で、みなで話し合ったのは「赦し」と「許し」の違いです。

神さまが私たちを赦してくださっている恵みを覚え、私たちは人を赦すことに努めたいと願うのですが、どうしてもそれができない現実があります。そうすると私たちは心に大きな重荷を背負うことになるでしょう。そのような時に、私たちは「相手の罪を許そうとしていないか?その必要はない」という内容がテキストとして読んでいる白石剛史先生のメッセージの中に記されていて、私自身、目からうろこが落ちたように思えました。

K兄が英語では単語として区別がある(permit・許すとforgive・赦す)と教えて下さったのですが日本語は大変あいまいです。ネットの主要英和辞典サイトではforgiveの訳が「許す」と記載されてもいます。

聖書の教えからすれば愛によって相手を受け入れようとする「赦し」と相手の行為に対して問題ないとして許容(or許可)する「許し」とは全く意味が違います。相手の行いに(自分についても)腹を立てる自分の感情を否定する必要はなく、それでも相手をあきらめず受け入れようとする意志を、十字架にあって持つ者でありたいと教えられました。

(文=加藤信行 副牧師)


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