今週のトピック

「物事の見方が変わる」2017年11月12日

ローマ人への手紙 5章 3-5節(抜粋)

「そればかりでなく、患難さえも喜んでいます。
それは、患難が忍耐を生み出し、
忍耐が練られた品性を生み出し、
練られた品性が希望を生み出すと
知っているからです。
この希望は失望に終わることがありません。」

前の日曜礼拝で「希望と絶望の間にある時、忍耐こそが希望になる」というメッセージを松本牧師が語られ、大変教えられました。私自身、訓練を神様からいただき、練られた者にもっとなっていきたいと思わされました。ただ改めて考えると「忍耐」から「希望」というように結びつくのは不思議で意外さをも強く感じました。

そのような事が明瞭に心に残っていた先週、トールサークルも開催され、水曜日から連日、教会では集会が行われましたが、毎朝、少し困難を覚えることが起きていました。それは玄関前に大量に溜まってしまっていた落ち葉です。風が強い日が続いていたこともあり、道路側から風に飛ばされ集まってきたのでしょうが、正直、忙しい朝に大量の落ち葉掃きをする掃除の手間を考えると、うんざりするような状況がそこにあったのです。

物を言わない『風』に文句を言っても仕方ありませんし、朝早い時帯で、愚痴を言う相手もいませんから、黙って清掃を行っていたわけですが、二日目の朝、連日の落ち葉集めをしながら、頭の中でよくよく考えてみました。《枯葉が落ちてくるのは季節的に当たり前のことだよな。それに風が吹かなければその葉は歩道に幅広く降り積もって溜まっていく一方で、かえって落ち葉掃除は大変になってしまうよな》と。

三日目の朝、またしても玄関前に溜まっている落ち葉と、ほぼ葉が散り終わった街路樹ときれいになっている歩道を眺めながら思ったことは、《ずいぶん風のおかげで掃除が楽にできたな》という客観的かつ前向きな感想でした。それは同じような状況が続いているにも関わらず、だんだんと良い風に目の前で起きている出来事を捉えることができ、困難を喜べるような物事の見方をできるように変えられていた自分の変化に気づかされた時でした。

忍耐の中で見えてくるものの中に、確かに希望がありました。

(文=加藤信行 伝道師)


[ 今週のトピックス一覧に戻る ]