今週のトピック

「口を出すにも、出さないにも」2017年09月17日

第1コリント人への手紙 13章 1-2節(抜粋)

「たとい、私が人の異言や、
御使いの異言で話しても、
愛がないなら、やかましいどらや、
うるさいシンバルと同じです。
・・・また、山を動かすほどの完全な信仰を持っていても、
愛がないなら、何の値打ちもありません。」

先日、青年たちと何気ないおしゃべりをしている中で、私たち夫婦における家事分担について話題が振られ、正直気まずい思いを持ちました。それは、もともと私自身が家事全般の細やかな仕事が苦手で、最低限の役割しか家の中で果たしておらず、負い目を感じていたからです。そんな私の表情(空気?)を察してか、ある方が「うまくできないなら、口出しもしようがないですから、それはそれで(奥様は)楽かもしれませんね」とフォローをして下さいました。そういう考え方もできるのかなと思いつつ、それを言い訳にして何もしないのはやはりよくないと、改めて、家内の助けになるような事を少しでもしなければと反省させられました。

ただその方が言われていた事も、もっともな事だと考えさせられています。実際、私の生活を振り返っても、身近な方に口を出す時、「自分ならこうするのに、どうしてそうしないのか」と相手をさばく思いで指摘しがちで、不快な思いをさせてきたのではないかと考えさせられます。しかし相手の助けになれるようにと、言い方にも気をつけ、丁寧にアドバイスすることは、よいやり方の共有だけでなく、よい関係を築くことにもつながると思いました。そのような事を思い巡らしながら、上記のみことばを思い出し、要はそこに愛があるかどうかなんだと改めて教えられ、シンバルのようなうるさい口出しではなく、黙っているにしても、話すにしても、愛を動機にして自分の行動をとっていきたいと、悔い改めました。

(文=加藤信行 伝道師)


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