今週のトピック

「目には見えなくても」2017年05月28日

ヨハネの福音書 3章8節

「風はその思いのままに吹き、
あなたはその音を聞くが、
それがどこから来てどこへ行くかを知らない。
御霊によって生まれる者もみな、そのとおりです。」

先日、息子を幼稚園に迎えに行った帰り道にこのような出来事がありました。

ある歩道で、私の少し後ろをついてくる息子が、遊びで何度も走り寄り、お尻を押してくるので、4−5回目、まだその手がお尻に触れる前に「もう押さないでよ」と私は叫びました。そうすると息子は「何で見ていないのに、わかったの?」と不思議そうに聞いてきました。確かにその直前までは振り向いて彼の様子を確認していましたが、面倒になって、最後はそれもしなかったのです。彼からしたら、見てもいないのに自分が何をしようとしているのかをわかった父に対して、戸惑いにも似た驚きがあったようです。ただ私にとっては、彼の走り寄る足音が近づいてきたのですから、見なくても十分にわかる当たり前の事でした。そしてその時、上記のみことばを思い出し、息子に「足音だよ。音がすればわかるよ。風も目には見えないけれども、木の葉の揺れる音がするからわかるでしょう」と笑って話しかけました。

イエス様が話されたこの御言葉の通り、目には見えなくても神様のなされる御業が確かにあることをまず信じたいと思います。ただそれと同時に、注意深く、冷静に状況を捉えるなら、身近なところに気づくことができる神様からの“音信(おとずれ)”があるかもしれないと、この出来事を通して、私自身考えさせられました。

(文=加藤信行 伝道師)


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