今週のトピック

「主の深い苦しみを思って」2017年04月09日

へブル人への手紙 4章 15節

「私たちの大祭司は、私たちの弱さに
同情できない方ではありません。
罪は犯されませんでしたが、
すべての点で、私たちと同じように、
試みにあわれたのです。」

イースター(復活祭)を来週にひかえ、今週はイエス様の苦しみを覚える、受難週にあたります。受難週はエルサレム入場から始まり、宮きよめ、最後の晩餐、ゲッセマネの祈り、イエス様の逮捕、6回にわたる裁判、いばらの冠とむち打ちの刑、そして、ついに十字架の死、と続きます。この時のイエス様の苦しみを考える時、いつも思う事はこの苦しみを、何人の人が正しく理解していたのだろうか?ということです。最愛の12弟子たちをはじめこの期間イエス様と行動を共にした、何人かの弟子たちがいました。特に、12弟子たちの多くがイエス様から離れ去った後も、ゴルゴタの丘までついてきた女たち(ルカ23:49)は、十字架の上のイエス様の「死」まで見とどけていました。しかし、この女たちも、弟子たちもイエス様の苦しみの本当の意味はよくわからなかったのではないかと思います(最大の苦しみは一時的にせよ神との分離)。

そう考えると、苦しみには二つの意味があると思います。一つ目は、苦痛や痛み、渇き等の肉体的なもの、そして二つ目は、その苦しみを「他の誰からも理解してもらえない」こと。しかし、イエス様は私たちの苦しみを理解し、同情してくださいます。なぜなら、イエス様は私たち(自分)以上の苦しみを体験されたからです。今週、祈り深く受難週を過ごしたいです。

(文=松本俊雄 牧師)


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