今週のトピック

「満ち足りる心」2016年10月30日

 第1テモテへの手紙 6章 6-8節

「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそ、
大きな利益を受ける道です。
私たちは何一つこの世に持ってこなかったし、
また何一つ持って出ることもできません。
衣食があれば、それで満足すべきです。」

今年も11月を迎え、クリスマスに向かって、心騒がしく日々を過ごしています。そして、その忙しさの中で、つい不満や不平が出てしまい、後で気づいて「また、つぶやいてしまった」と、悔い改めています。そんな時、上記のみことばは大きな慰めと励ましになります。心に満足があれば、不平、不満は出てこないからです。

このみことばですが、どうして「衣食」なのか?

一般的には人が生きていくためには「衣食住」が必要である、と言われていますが、ここでは「衣食」で「住」がありません。そういえば、マタイの福音書6:26-30「空の鳥、野の草」の譬えでも、「衣食」が中心で「住」は出てきません。また、イエス様が誕生したクリスマスの夜にも「マリヤは月が満ちて、男子の初子を生んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。ルカ2:6-7」とあり、「住」がなかったことが書いてあります。

それは、私たちは信仰的には「地上では旅人であり、寄留者であることを告白していたのです。へブル11:13」とある通り、この世は最終的な居場所でないことを意味しているように思います。今、与えられている衣食の恵みを忘れないようにしたいと思います。

それは、「住」は必要なのではなく、生きるために必要な物が与えられている恵みを忘れないように、ということではないでしょうか。特に、イエス様はその誕生だけでなく、その生涯も「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕する所もありません。マタイ8:20」と書いてあります。まず、「衣食」ある感謝を忘れないようにしたいと思います。

(文=松本俊雄 牧師)


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