今週のトピック

「どこを切ってもキリストの愛」2016年04月10日

ガラテヤ人への手紙 5章 6節

「キリスト・イエスにあっては、
割礼を受けるか受けないかは大事なことではなく、
愛によって働く信仰だけが大事なのです。」

今年もつくし野と恩田川沿いの桜が満開になりました。今年は雨や寒い日が多かったためか、結構長く持ち、大勢の方々が花見を楽しんでいるようです。桜がどうしてこんなに私たちの心に感動を与えるのか、いろいろ理由があると思いますが、その一つに咲き方があるように思います。多くの植物の花は、下の枝から段々上に向かって順番に咲いていきます。しかし桜は根元の枝から天辺の枝まで一気に咲きます。特に大木になると、全部が一度に咲くわけですから、それは、それは、そうえは見事です。

以前読んだ三浦綾子さんの小説「愛の鬼才」の本に「ダイコンは何処を切ってもダイコン」ということばを使って、「主人公:西村久蔵」の愛に満ちた生涯を紹介している文がありました。ダイコンは何処を切ってもダイコンのように、西村久蔵の生涯はどの場面でも「キリストの愛」が現れていたという感動的な話で、30年以上前の若い頃でしたが、大変励まされました。聖書の教えは「愛」の教えですが、その根本は、行いに先立つ「動機」が愛に根差しているか、どうかだと思います。その行為が本当に愛に根差しているなら、その時すぐに相手や周りの人に理解されなくても、いつか理解されます。しかし、その行為が、単なる義務や見せかけならいつかそれが分かってしまいます。満開の桜の花を見るたびに「全部が愛に根差せるように」心から願っています。

(文=松本俊雄 牧師)


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