今週のトピック

「十字架の傷跡を残して」2016年04月03日

ヨハネの福音書 20章19-20節

「その日、すなわち週の初めの日の
夕方のことであった。弟子たちがいた所では、
ユダヤ人を恐れて戸が閉めてあったが、
イエスが来られ、彼らの中に立って言われた。
『平安があなたがたにあるように。』
こう言ってイエスは、その手とわき腹を彼らに示された。
弟子たちは、主を見て喜んだ。」

3/27(日)のデイリー・ブレッドのコメントに、「小さなことですが、イースターの物語でいつも心に留まることがあります。それは、イエスが十字架で受けた傷跡を残した身体でよみがえられたという事実です。どんな身体でよみがえるかは自由だったはずなのに、イエスは目で見たり、手で触ったりできる傷跡を残したままで、よみがえられました。」という文が載っていて深い感銘を受けました。今まで復活の記事は、人生の最大の希望として信じていました。復活の希望があれば、どんな困難も乗り越えて生きていける力だと信じていました。しかし、このコメントは、復活の信仰の力は、あくまでもイエスの示された、傷跡「流された血とさかれた肉体」のゆえに与えられた恵みであることを忘れてはいけないことを教えられました。

また、イエス様が傷跡を残した身体で復活されたことは、自分が復活した時、イエス様にお見せするような「主イエス様のためにこの世で受けた苦しみの傷跡」が、はたしてあるだろうかと少し心配になりました。イエス様は「自分の宝は、天にたくわえなさい。マタイ6章20節」と言われましたが、毎日の生活の中で、つい周りの人の目や、この世の評価(人に良く思われたい)だけを気にしてはいけないと強く示されました。

(文=松本俊雄 牧師)


[ 今週のトピックス一覧に戻る ]