今週のトピック

「愛による犠牲は重荷にはならない」2016年03月20日

ローマへの手紙 13章8節

「だれに対しても、何の借りもあっては
いけません。ただし、
互いに愛し合うことについては別です。
他の人を愛する者は、
律法を完全に守っているからです。」

私は、小学校に入る前はとても病弱でした。家の一番奥の部屋でいつも寝ていたように思います。今でも幼少期の最初の鮮明な記憶は、部屋の天井板の節穴だたことを覚えています。そして、母は6人の兄弟の中で私にだけ、元気になるようにと貧しい中から牛乳を買ってきたり、栄養のある食べ物を買って食べさせてくれました。そのためか、3−4年生になる頃からだんだん元気になりました。そんな私を、父母は家に来客があるたびに、「この子は、育たないと思っていたが、こんなに大きくなって」と自慢していました。しかし、私はその言葉を聞くたびに、内心、「自分は家族の犠牲によって育ったのか」と暗い気持ちと、そんなことを考える自分に深い罪悪感を持ち、青年期にになるにつけ生きる希望を失っていきました。

そんな中で、教会に導かれ信仰を持ち、イエス様の十字架の話を聞きました。考えてみれば、自分の罪の身代わりに、関係のないイエス様が十字架にかかったのですから、気の重い話です。しかし私は、イエス様を信じた時、気の重い話どころか、「喜び」が湧き上がりました。それはイエス様の犠牲が「愛」から出ていることがよく分かったからです。愛は重荷ではないことが実感できました。

そして、私の子ども時代の家族の犠牲も、「愛」から出ていたことに気づかされ、家族にも心から感謝できるようになりました。

(文=松本俊雄 牧師)


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