今週のトピック

「血を注ぎ出すことがなければ」2016年03月13日

ヘブル人への手紙 9章22節

「それで、律法によれば、
すべてのものは血によってきよめられる、
と言ってようでしょう。
また、血を注ぎ出すことがなければ、
罪の赦しはないのです。」

最近も連日のように世界からテロのニュースが伝えられています。特にシリヤを中心とする中東からは、何十人、何百人という単位で、犠牲者や負傷者の数が伝えられ、解決どころか、憎しみが憎しみを生む世界が広がっているように思います。聞く度に「本当に悲惨な事だ」「何とかならないのかな」と思いますが、次の日には、ほとんど記憶残っていない自分にも悲しくなります。そして、最近のテロの場合、自爆テロが多いのも「希望の無い世界なら、自分も、周りの人もどうなってもいい」と言うような、投げやり的な、何とも言えない暗さを覚えます。

以前まだ若い頃、伝道していて、ある方から「仏教は仏の慈悲を説くが、キリスト教はむごたらしいイエスの十字架刑を説くから嫌いだ」と言われたことがあります。その時はあまり明確な反論ができず、残念な思いをしましたが、それから今年で40年以上経ちました。その40年間、人間の罪の大きさ、悲惨さを深く知るようになり(自分自身の罪の大きさもだんだん自覚で出来るようになって)、罪の赦しには、神の御子イエス・キリストが十字架で「むごたらしく死ぬ必要があること」が良く分かるようになりました。今年の受難週、自分の犯す罪は「イエス様が十字架で血を流す程大きなこと」だと忘れないで、注意深く過ごしたいです。

(文=松本俊雄 牧師)


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