今週のトピック

「渇くことのない泉を持つ」2016年09月04日

ヨハネの福音書 4章 13-14節

「イエスは答えて言われた。
『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、
決して渇くことがありません。
わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、
永遠のいのちの水がわき出ます。』」

信仰にも、人生にも行き詰まる時があります。そんな時、私の信仰は泉ではなく、小さな池か水溜りになった気がします。何時か涸れ果ててしまうのではないかと不安が心の中に湧き上がってきます。そんな時どうすればよいのでしょうか?

35年程前に、町田で伝道を開始して、3、4年経った頃、メッセージに詰まるようになりました。聖書塾で学んだ知識は全部出し尽くし、これ以上語るべきものは何も無いように感じました。日曜日の前の土曜日の夜になって、準備したメッセージ原稿を読み直すと、これでは何も伝わらないのではないかと思えて、全部作りなおさなければと思わされ、何とも言えない暗い気持ちになりました。そこで、聖書を開き、創世記から黙示まで何回も読み直しました(もちろん通し読みですが)。そうすると、不思議なことに、ペテロの失敗や(マタイ26:75)、エリヤの落ち込み(列王記第一19章)、ダビデの姦淫と殺人の罪(第2サムエル記11-12章)等の記事が目に留まりました。そう思うと、メッセージの準備が不十分ぐらいで、信仰そのもの、人生そのものを否定することは愚かなことかもしれないと、思えてきました。そこで、すべてを神様にゆだねて寝ることにしました。その結果、次の日曜日も元気に奉仕することが出来ました。神様は、私にも決して渇かない泉を与えてくださっていると感謝しました

(文=松本俊雄 牧師)


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